日本の軍艦(写真)



正式空母 赤城 

巡洋戦艦改造の空母 ハワイ真珠湾奇襲、オーストラリア・ポートダーヴィン爆撃、インド洋作戦
ミッドウェー海戦など戦争前半に活躍。序盤の日本軍の快進撃のきっかけとなる。
ミッドウェー海戦時、アメリカ海軍機動部隊の艦爆機の攻撃のより炎上、廃棄処分となった。(昭和17年6月6日)

基準排水量36500トン 
艦載機数91(補助機含む) 20cm砲6門
12cm高角砲12基 25mm機関銃28
飛行甲板 249.2m
全長260.7m 全幅31.32メートル
最大速度 31,2ノット   航続力16ノット・8200里



 
正式空母 翔鶴                   同型艦 正式空母 瑞鶴

日本海軍の開発した初の大型空母の瑞鶴型空母。
ハワイ真珠湾奇襲、オーストラリア・ポートダーヴィン爆撃、インド洋作戦のほかに、世界最初
の空母VS空母の戦いとなる、珊瑚海海戦でアメリカ海軍と戦いました。
ガダルカナル島を巡る戦いでは、第二次ソロモン沖海戦、南大西洋海戦に参加。
インドではイギリス空母ハーミス、重巡洋艦二隻などを沈め、珊瑚海ではアメリカ空母レキシン
トンを撃沈、ヨークタウンを大破させました。
第二次ソロモン沖海戦ではアメリカ空母エンタープライズ、サラトガを大破。
南太平洋海戦ではアメリカ空母ホーネットを撃沈。エンタープライズを大破させました。
しかし、日本海軍が総力を結集させたマリアナ沖海戦ではアメリカの潜水艦の魚雷3発を受けて
沈没。この海戦の敗北のよって、グアム島などのマリアナ諸島は陥落。
B29の日本本土爆撃が可能になり日本は無差別爆撃を受け焼け野原となりました。
瑞鶴は生き残り、アメリカ軍のフィリピン上陸を阻止するためレイテ沖海戦に参加。
大和などの戦艦部隊をレイテ湾に突入させるため、おとり部隊として奮戦して沈没しました。

基準排水量25675トン
艦載機数84(補助機含む)12cm高角砲12基
飛行甲板 242.2m
全長257.5m 全幅26m
最大速度 34ノット   航続力18ノット・9600里




正式空母 雲龍       同型艦 正式空母 天城・正式空母 葛城

1942年6月、ミッドウェー海戦で赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻の正規空母を失った日本海軍は、
機動部隊再建のため新たな正式空母を建造しようと試みました。
そこで、ミッドウェー海戦で沈んだ正規空母飛龍の設計図を改良、簡略化して建造されたのが飛龍改型
空母、雲龍型の空母です。雲龍型空母は艦載機数が10機減ったものの12cm高角砲12門、
25mm対空機銃93基など対空装備が格段に強化されましたが、1番艦雲龍が完成したときには、
日本海軍はマリアナ沖海戦に敗れ、正規空母の大鳳、翔鶴、飛鷹の3隻と300機以上の航空機を失い
機動部隊は壊滅していました。
そのため艦載機がそろわず、雲龍は台湾に特攻兵器:桜花を輸送中にアメリカ潜水艦に撃沈されました。
また、同型艦の天城は1945年の呉空襲で大破着底してしまい、同じく葛城は終戦まで生き残り、戦後
復員船として太平洋の島々に取り残された日本軍の兵士を本土まで運びました。

基準排水量17420トン 艦載機数63機(補助機含む)12cm高角砲12基 25mm対空機関銃93基

最大速度 34ノット




軽空母 瑞鳳

第二次大戦中、日本軍は以前から開戦後すぐに小型空母を配備できるように海軍所属の給油船
・潜水母艦を設計していました。航空母艦瑞鳳は太平洋戦争開戦直前に給油船から空母に改装
されました。
開戦直後は日本の正規空母部隊が日本の進撃のたびに活躍していましたが、1942年6月6
日のミッドウェー海戦で赤城・加賀・蒼龍・飛龍の4隻の主力空母を撃沈されると、日本海軍
の主力空母は翔鶴・瑞鶴の2隻のみとなり、瑞鳳などの改造空母も出撃しなければならない状
態となりました。
南太平洋海戦、マリアナ沖海戦などの海戦を戦い、生き残りましたが、1944年のレイテ沖
海戦では瑞鶴・千代田・千歳の空母とともに囮艦隊となり、撃沈されました。

基準排水量11200トン
全長205.5m 全幅18m  飛行甲板180メートル
艦載機30機
12.7cm高角砲8門 25mm機銃12
最高速度 28ノット 航続力18ノット・7800里





軽空母 龍穣

日本海軍が建造した3番目の空母です。ロンドン海軍軍縮条約では1万トン未満の空母には制
限がなかったので、8000トンの正規空母として設計されました。
しかし、わずか8000トンの船体に48機もの飛行機を載せるように設計したため、トップ
へヴィとなり、1回目の改装工事では船体の強度不足によって小破してしまいました。
そして、2回目の改装工事で10600トンの基準排水量に増加しました。
太平洋海戦時は角田覚治少将の第4航空戦隊の指揮下で、南方作戦唯一の空母としてフィリピ
ン爆撃に出撃しました。
そして、引き続き南方作戦にて、マレー半島攻略作戦、ジャワ島攻略作戦の支援を行い、日本
海軍大型空母5隻が出撃したインド洋作戦では通商破壊作戦を敢行し、イギリス輸送船10隻
以上を撃沈しました。
1442年6月アリューシャン列島攻略作戦では第2機動部隊として、空母準鷹とともに北太
平洋のアメリカ軍基地のダッチハーバーを爆撃しました。
しかしその頃、日本の第1機動部隊の赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻の空母はアメリカ海軍に
ミッドウェー海戦で全滅に追い込まれていました。
その後1942年8月に始まったガダルカナル島の攻防戦の船団輸送の護衛空母手して参加。
アメリカ軍空母サラトガ、エンタープライズの攻撃によって撃沈されました。

基準排水量10600トン
全長158.6m
艦載機48機
最高速度29ノット




軽空母 準鷹

準鷹は日本郵便の郵便船を海軍が買取り、改造して作られた改造空母です。準鷹が完成したのが
1942年初頭で、第4航空戦隊の空母龍穣(上)とともに第2機動部隊を編成し、北太平洋の
アメリカ軍拠点、ダッチハーバーを空襲し、アリューシャン列島のアッツ島・キスカ島を占領し
ました。しかし、そのころ日本海軍最強ともいえる第1機動部隊はアメリカの第16・第17任
務部隊の空母ホーネット・エンタープライズ・ヨークタウン(飛龍の攻撃隊と潜水艦の攻撃で撃
沈)によって壊滅し、第2機動部隊は急遽南下し戦艦大和以下の艦隊と合流し退却しました。
8月、アメリカ軍は日本の海軍航空基地のあるガダルカナル島を奇襲制圧、ここから半年余り続く
ソロモン海域での海戦が始まりました。
ところが、第2次ソロモン沖海戦で第2機動部隊の僚艦であった龍穣が撃沈され、アメリカの航空
兵力は増強され、日本軍は大苦戦に陥りました。
そして11月、ついに日本海軍機動部隊とアメリカ海軍機動部隊とが激突しました。
この南太平洋海戦は日本海軍がホーネットを撃沈し、エンタープライズを大破させアメリカ機動部
隊を敗走させました。
しかし、日本の航空機は消耗が激しく、後がつづかないのに対し、アメリカは圧倒的な物量で太平
洋の島々に強襲、日本海軍は各地で敗退を続けました。
そして1944年日本海軍の総力を結集したマリアナ沖海戦で日本海軍は大敗し、B29による
本土空襲が激化、準鷹は圧倒的なアメリカ軍とレイテ沖海戦で戦い、撃沈されました。

基準排水量25550トン
艦載機数53機
最高速度25.5ノット




護衛空母 海鷹

海鷹はもともと商船であった(あるぜんちな丸)を改装して空母にした商船改造空母です。
さらに海鷹はその商船改造空母の中で最小の空母でした。
他の商船空母と同じように、速度はおそく、防御力も決して高いとはいえませんでした。
アメリカ海軍と違い、日本海軍は空母の艦載機発艦システムにカタパルトを取りこまなかったので、
敵を発見してもすぐには艦載機を飛ばすことが出来ませんでした。海鷹は小さいので当然発艦は
難しかったと思われます。
1945年、ねばったものの海鷹は呉空襲のとき逃走に失敗し呉港外で撃沈されました。

基準排水量16700トン
艦載機数23機
最高速度23ノット




護衛空母 大鷹

大鷹はもともと客船でしたが、日本海軍はミッドウェー海戦で大型空母を4隻も失ったので、民
間の大型の船を改造して航空母艦にしました。
しかし、民間の船なので速さは遅く、艦載機もあまり多くは無いので、海軍は輸送船を護衛する
護衛空母として使いました。(そのほか神鷹・沖鷹・海鷹の護衛空母で輸送船を護衛しました。)
なれど、日本海軍の空母はアメリカ海軍のようにカタパルトを装備していないので敵を発見して
もすぐには攻撃隊を出せませんでした。
そして、中途半端にでかいため、敵に発見され易く、最後はアメリカの潜水艦の魚雷で沈みまし
た。

基準排水量17780トン 艦載機数28
最大速度21ノット





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