日本の軍艦(写真)



戦艦 大和    (同型艦 武蔵)

日本海軍が開発した世界最大の戦艦。
同型艦武蔵とともに排水量、主砲ともに列強海軍をはるかにしのぐ巨艦でしたが、自慢の46cm砲を
放ったのは大戦末期フィリピン近海のレイテ沖海戦だけでした。

基準排水量65000トン
46cm3連装砲3基、15,5cm砲4基、12,7センチ高角連装砲6基
25mm3連装機銃6基、13mm連装機銃2基
全長263m 最大速度27ノット




戦艦 長門    (同型艦 陸奥)

戦艦大和が完成するまで日本海軍連合艦隊旗艦でした。
同型艦の陸奥はワシントン軍縮条約に引っかかりましたが何とか廃棄処分を免れました。
1941年に太平洋戦争が始まっても、ずっと後方にいました。
しかし戦況が悪化した1944年のレイテ沖海戦では戦艦大和、武蔵、金剛や重巡洋艦とともに
フィリピンのレイテ湾に突入。アメリカの護衛空母や駆逐艦を撃破しましたが、敵の主力空母や
戦艦、輸送船の攻撃は出来ませんでした。
長門は終戦まで無事でしたがその後太平洋でアメリカ軍の核実験に使われて破壊されました。

基準排水量39940トン 40cm砲8門 12,7cm高角連装砲12基 その他20cm砲など
最大速度 25ノット






戦艦 扶桑    (同型艦 山城)

扶桑は日本海軍の戦艦だが、低速で主砲口径も36cmのため、まったく使いのもにならず、
太平洋戦争中、ほとんど活躍もせずに同型の戦艦山城とともに大半を港で過ごす有様でした。
しかし大戦末期、マリアナ沖海戦で海軍機動部隊壊滅。
戦局の悪化のため、このような雑魚も繰り出さなければならなくなりました。
フィリピン諸島のレイテ湾に突入を試みるも、アメリカの駆逐艦隊に待ち伏せされ夜戦で完敗。
戦艦山城とともにほとんど何の役にも立たず沈んでしまいました。
図体だけはでかいので解体して空母でも作ればよかったのではないかと思いますが、何のために
こんな物を日本海軍が温存したのかがまったく分かりません。

基準排水量 34580トン 36cm砲12門、15.2cm砲14門、12.7センチ高角連装砲4基等、
最大速度24.5ノット









戻る